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会長日記

かつてフォークソングという表現方法があった

大久保一久さんが亡くなった。急性心臓死と新聞の訃報欄にはある。享年71歳・・・

それって誰?・・という人がほとんどかもしれません。1970年代後半、伊勢正三さんと「風」というフォークデュオを組んで活躍したミュージシャンです。

伊勢(正やん)は「かぐや姫」大久保(久保やん)は「猫」というグループでそれぞれ結構売れていましたが、1975年に二人は「空気のように留まらず、音楽的に常に進化していくことを目指す」という意味の「風」というコンビを結成し、5枚のオリジナルアルバムをヒットさせ、1979年にわずか4年程で活動を休止しました。最初のシングルヒットは、「かぐや姫」時代に伊勢正三が作詞作曲した「22歳の別れ」でした。

私のレコード棚を探してみると、40数年前の2枚が見つかりました。「ファーストアルバム」と4枚目の「海風」です。当時2枚ともオリコンチャートで売上1位を取っています。左側が久保やん、右側が正やんです。ベルボトムのジーンズと肩までの長髪が時代を感じさせます。

 

なぜ、大久保一久の訃報が気にかかったかというと、この「風」の活動期間というのは私の20歳前後、大学生時代の4年間とぴったり重なるのです。当時は、携帯電話やパソコンは勿論なく、SNS時代の今のように、自分の存在を他の誰かに簡単に表現することはむずかしかったのです。対面で会話をするか、固定電話や公衆電話を使うか、文章を書いたり手紙で伝えるか、才能のある人は絵画や演劇、映画のような芸術手法は使えましたが、普通の若者たちはそのエネルギーの発露に常にもやもや感を抱えていました。

そんな中で、フォークソングという表現の手段があったのです。それも1960年代の反戦フォークやプロテストフォークとは違う、音楽業界が売れ線狙いで全盛期を作った、もっと軽い感じの1970年代のフォークブームです。吉田拓郎、井上陽水といったスターが誕生し、数えきれないくらいのグループが活動し、結成したと思ったら解散したりの繰り返しでした。そして、それらの曲を聴いていた普通の若者たちも、ギターを抱えてコードをかき鳴らし彼らの歌を歌うことが、自分たちの存在の表現方法でもあったのです。そんな我々の世代は、無気力、無関心、無責任の三無主義「しらけ世代」と呼ばれました。

私にとって、「風」というグループは、そんな時代に、人生への影響力なんてものは全くなかったですが、同時代に生きていた存在として、またいろんなところで流れていた曲と共に妙に記憶に残っているのです。

久保やんのいた「猫」(最初よしだたくろうのバックバンドだった)のベスト盤と正やんの大ヒット曲「なごり雪」と「22歳の別れ」の入った「かぐや姫」の大変よく売れたアルバム「三階建の詩」も・・・まだレコードが残っていました。

当時一番聴いていたのは、吉田拓郎の傑作「今はまだ人生を語らず」でした。

フォークソングは間違いなくあの時代の若者文化だったのです。・・・新聞の死亡記事で急にいろんなことを思い出しました。

大久保さんのご冥福をお祈りいたします。

社長